2007年10月11日 花の街ふかや映画祭
『パッチギ LOVE & PEACE』
井筒和幸監督 トークショー
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井筒和幸監督【以下井】:(会場拍手)歌でも歌いましょか?(笑)こんばんはです。ここんとこね、地方の第2次上映と言うんですか、講演会と一緒にひと月あまり、いろんな所に行っていたんです。まだまだ観てない人達のために、地方の人達のために、色々とこういう講演をしてくれています。来週ですか?ちゃんと深谷シネマでも上映始まります。どうぞお伝えいただいて、みんなにまたお披露目してください…ね?(客席のお子さんに)子供さんにはまだ難しくてわからないかな、この映画はね…しょうがないですけどもね。お父さんが観に来たいから、我慢してね?難しいよね、ね?パンダとかなんか出てくる、キムタクの映画位ならね〜笑って観ていられるけどね〜またそういうモノとは違う映画ですので…また深谷シネマの方もですね、またお越しになれることを願っております、まだ観ていらっしゃらない人達もですね、お越しいただければなと思いまして…はい、ひとまず。
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司:制作のきっかけは?
井:そうですね。講演会の度にもね、言ってきたんですけど、1作目はねぇ、ご覧になってない方もいらっしゃると思うんですけども…1作目の『パッチギ』は本当に反響をよびましてね。僕ら、こういう映画があっていいのかな?っていう手探りでね。京都の第一朝鮮人高校生と日本の高校生がね〜乱闘すると。もちろん事実ではあったんですけども、こういうものを映画にしてどうだろうと。みんな三丁目の夕日だとか朝日だとかなんだか知らないけどね、あ〜ゆう穏やか〜な何の問題もないようなものをですね、みんなやっぱり日本の人っていうのはね、今の福田政権ではないですけどね「大きな流れにス〜ッと乗っておいた方が無難やで〜」っていう考え方が、今日本中にありますから…かといって、麻生がどうとか言うてるわけじゃないんですよ。(笑)
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そうじゃなくてね、あの〜いわゆる「寄らば大樹」の影なり表なりに隠れていれば、うまくいけるんじゃないかなぁっていうのを本当にですね…自分のことばかり考えるね、僕らも含めてそうです。なかなか隣の家とかちょっと先の家のことを気にしてあげてたりとか、そういうことはなかなか反映しません、社会に。だから…1作目を作ったときも、どうなのかなぁと…そんな話ね、朝鮮人が何人も出てきたところでね、見向きもしないんじゃないのかなぁと…こういう気持ちもあったんですね。でもまあ、勇気を持って作ってみようと。若い子たちも色々と在日の歴史も知らないことだし、もちろん日本の歴史そのものもね、教育の中でちゃんと学んできていないし。
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これは日本の教育のせいもあるんですけども、我々の頃とは違うだろうと。だからこそ作ってみようってやりましたら案の定、沢尻エリカ様のお陰をもちましてね。(会場笑)いつのまにか『パッチギ』の反響とともにですね、急にエリカ様におなりになり遊ばしまして(会場笑)。まぁ反響があったわけですよね。おまけにね、映画賞やワイドショーでもですね、僕は何も頼んでいないのにね、お金払ったわけでもないですよ。(笑)皆さんが寄ってたかって来てくれましてね。こっちから願ってもいなかったことですからね。賞をもらうために僕ら映画作っている訳でもないんで。世の中に面白い衝撃が走ればなと思って作っている訳で、大体がそうゆうもんなんですけどね…人の人生を垣間見ることの恐ろしさや喜び、苦しみや悲しみがあるわけで…そしたらこういった賞がついてきて騒がれました。そしたらまたますますエリカ様エリカ様になっていきました。こんな一年があったわけですよね。
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他にろくな映画はなかったのか?と思いたくなるくらいね…みんなどんな映画作っているのか、何を観てるのかと思うくらいね、まあ。忙しさにもかまけてですね、さて次は何を作ろうかというような事を思ってたんです。反響があるんだったら、この後どういう展開のね、第2作目の物語があるのかなと、模索してたんです。それが今回『LOVE
&
PEACE』、こういう結果、こういう内容に至ったんですけどもね。でもまぁ、1作目はヒットヒット言いますけども、実際は何十万人なんですよ…そんな何百万人もね、『HERO』や『海猿』みたいな訳にはいかないわけですよね。だからもっと入ればなぁと、もっと沢山の人がまた来てくれることを祈って、百万人位観に来てくれたら嬉しいなと。1作目であんなに反響があったのになぁと…で作ったんですね。
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それで(2007年)5月に封切りました…そしたらですね、途端にインターネットを通じてですね「『パッチギ!
LOVE &
PEACE』は反日映画である」、「反日映画でありながら、日本の文化庁から助成金までもらっている」、「朝鮮人の物語なのに、なんで文化庁が血税を注いであんな映画に、あんなごときの映画に助成するんだ」と、こういうことをですね、週刊新潮がちょっと書き出しましてね。そしてまたそれがネットに影響して、ネットの書き込みで…どこのどいつがどうしているのか知らないですけども「あんな絶望的な映画は無い」、「あんな朝鮮人の物語なんか知ったこっちゃない」、「あの監督もろくなもんじゃない」、「あいつは日本人じゃないんじゃないか」、「たぶん朝鮮からのスパイである、25年前にやってきた工作員である、ピョンヤンの総合機密、総合大学のスーパーエリートである」とかですね、わけのわからないことを散々ネットで書くものですからね。
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だからあのーこれをアメリカとか韓国では“サイバーテロ”と言うんですよね…この目にあいましてね、結局じゃあ1作目を観てて、2作目はどうなんだろうと思って期待してくれていた若い子たちは特に、ネットに影響されて戸惑いますから…だから結局「そんな絶望的な映画である、朝鮮人だけしか描かれていない?何それ?わからない?じゃあこれ観るの止めよう」というような空気が、反動的な空気がおこりましてね。結局1作目と変わらない興行収入に終わってしまったんですね。損をしたのか得をしたのかわからないですけども…でもね、そのようなサイバーテロが起こったということを含めてね、やっぱり『パッチギ』チームはね、日本の社会に対して、そういうものを作れて良かったのかなと…ちょっとでも勇気を持ってね、踏み込んで作れて良かったのかなと思っています。だからね、おめでたく迎えてくれるだけでもなかったんですけどね…そういう反響もあった、ということなんです。
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もちろんね、熱い反響を頂いたこともあったんですよ。「胸に突き刺さるように、1作目よりはむしろ、私達はジーンときた」という世代の人もいらっしゃったし、「1作目の生温い青春映画よりもずっと面白かった」という意見もありましたし…あるいは、もっと若い子たちも「いやーまいった!」と言ってくださる人たちもたくさんいらっしゃったんですよ…でも、サイバーテロもあったという…まぁ結果ですね。僕はマスコミに、時には協力してもらい、時にはバッシングされ、そうやって生きてきた職業ですから、バッシングされるのはしょうがないんで…でもそれにしてもね、反動的なバッシングがね、こういうモノを作ると途端にやってくる…極めて許しがたい、保守的な社会に日本は舞い戻っているんだなぁと思いますね。
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だから僕はいつも映画だけの話じゃなくてね、地方で憲法9条の話をしたり、あるいは人権問題についての講演会をやったりで、忙しいんですけどね。まだまだこの、ちょっと前の時代よりもさらに保守的な社会、保守的な世相、大きいモノの中に隠れていれば、大きいモノが我々の運命を自然と幸福に向わせてくれるんだと…そういうひとりよがりな、極めて保守的な、リベラルじゃない、ラジカルでない、そういう社会風潮がですね…そして在日朝鮮人が出ているものは、この映画のラストシーンじゃないけども「そんなに苦労しているのか知らないけど、そんなに住みにくい日本なら、とっとと半島に帰りなさい!」と言わんばかりのね、バッシングが色々起こったのは事実ですね。だからまぁ、そういう意味でもまた、僕らは『パッチギ3』なるものを…止めずに、懲りずに、また作っていきたいとは思っているんですけどね。
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司:続編に込めた想いは?
井:1作目は京都の街が舞台で、ちょっと穏やかな空気感の中で進む物語でしたからね。でも今回は東京の江東区、枝川に舞台を移していますから…もちろん現在の枝川の人たちにも、色々お世話になったんですけども、脚本も含めてね。やっぱり今の現実、現状、抱えている問題も色々ありますしね…しかもその中で作る「大人のドラマ」ですから…スムーズに運ばなかった訳ではないんですよ、非常に面白くやったんですけどね。
それでも今回、単なる京都の中だけじゃない。もう済州島の場面はあるわ、ヤップ島の地獄は描かなきゃならないわ、江東区は描かなきゃいけないわ、下関の金塊密輸のシーンは描かなきゃならないわで…いろんな所で点線をしましてですね。本当に点線に次ぐ点線で、東京都の話なのにですね、冒頭の国士舘(コクシカン)、あ、国士舘というたら怒られるわ、国土館(コクドカン)ですね、実際は…。国土館。(会場笑)帝京大学もやっていたそうですけどね…色々ね、差別的なことをやっていた学校名は全部わかっているんです。そういう事実は70年代にあったんです。
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僕らはヒモといて、僕らのシナリオチームが取材を進めた限りの中においてでも一年間に何十件…朝日新聞の1週間に1回位はですね、赤羽や、十条だとか、あるいは新宿近辺であるとか、都内の朝鮮高校の置かれている所と繋がる沿線では必ず(映画の)冒頭のような…もう冒頭以上ですね。まだ僕は冒頭、手を抜いたほうなんです。あまりにもね、初めからとんでもない事をするとね、お客さんが帰ってしまうんじゃないかと思ったんで…ちょっと気を緩めてですね、藤井隆君をせめてコメディリリーフとして、あのドラゴン(ブルース・リー)の物真似をさせてみたりですね。(笑)なるべく柔らかくしたつもりなんです、あれでもね。本当はもっと凄い集団暴行事件…まあねぇ、受けて立つ方も立つ方なんです。朝鮮高校の諸君たちにももちろん、一部の責任はあります。でも「受けて立たなきゃ前に行かない」これが前作『パッチギ!』のテーマでもありましたから…いつもその曲がり角を曲がると、100人が待ち構えている夢を見るんだと、そういう1作目の、とあるあの登場人物、高校生が告白する場面がありましたけど、夢でうなされる時があるんだと。絶えず我々は、1対100、1対200で生きているんだと。一億人の中で、たかだか55万人の少数民族で生きていたんだということがね、それは昔も今も変わらないと思いますけども。そういう認識の中で、彼らも高校生活を送ってきている訳ですから…当然70年代もそれがかなりまた過激に抗争がヒートしてね、それでああいう事件を起こしたんですよね。
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その冒頭の事件なんかも、再現するのは都内じゃなかなか出来ませんから、あんな電車も走っていませんしね…だから茨城の方に行きましてね、あの列車をJRじゃなくて別の鉄道会社から借りまして。それで色を全車両をブルーに塗り変えてもらい、当時の京浜東北線になるように…そしてディーゼルしか借りられませんでしたので、ディーゼルの車両ばかりでしたので、CGでパンタグラフなんかを付けてですね、いかにも当時の電車のようにしまして…駅のホームもですね、あちこち色々いじりまして。その当時のさま、東十条あたりの雰囲気にもっていったんです。
それで運転手さんに何回も行ったり来たりしてもらってですね。夜中のわずかな時間の間に撮れっこないですよね。だから何晩もあのシーンのために、毎日毎晩、夜やって、昼間寝て夕方から準備してっていうような事を繰り返してやっていたんですね…でも、つないでみたら6分間位なんですけどね。あっという間に終わっちゃうんですね、我々ホントに徒労ばっかりしてる…まぁ、そんな点在、点線をやった結果が『パッチギ!LOVE&PEACE』ですね。
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司:キャストを一新した点と、芸能界に焦点を当てた点について〜
井:そうですね、それは重要な事なんですね。一番わかりやすい世界でもあるんですけどね。やっぱり在日の人たちっていうのは…つまり日本国籍を持っていない日本人。そう言い換えてもいいと思います。在日の人たちってのはね、非常に特殊な人たち。ベトナムから移民でやって来て、日本国籍を取る人や、ブラジルから帰って来て日本国籍を取る人、これは違います。明らかに違います。イラン、イラクからの流民が溢れたり、あるいは仕事をしに来ている真面目な人は沢山いますけども…そういう事とは全くかけ離れたですね、100年間の歴史の中で、独自の特別性を持って生きてきている日本国籍を持たない日本人。
こういう人たちを描くっていう事は、かなりこの実情を思い知らないと、作れないですね。本当に隅から隅までわからないと。しかもその時代ごとにどうなっていったのかっていう検証も必要でした…そうなっていくと、一作目のエリカちゃんの世代のままね、あの顔のままね、6年後、7年後ってのはちょっと難しいなと思ったんですね。ただ可愛いだけじゃ済まない、しかも6年、7年経っているんだと、実際の彼女は1年位しか経っていない、じゃあもう代えてみようという風になったんですね。
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それで実際に演じてくれました、中村ゆりちゃん。彼女は在日…もちろん日本人の国籍はもう取っていますけども、民族の血が流れている人ですね。そういう人を新しい二代目キョンジャとしてね、特に最後の舞台挨拶っいうのはもう血が流れていないと、我々日本人では言えません、無理です。僕らが横からどれだけサディクションしてもですね、どれだけ知り尽くしたことを演技指導で助けてあげたところでですね、無理です。我々も、どう伝えたらいいのかわからないです。もう本当に自分の血が騒ぐというか、血で演技をするってそういう人を欲しかったんですね…なのでまぁ、そうなるともうみんなね、代えてしまったほうが、いいだろうと思ってですね、お兄ちゃんも代えたんです。
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また芸能界の話に戻るんですけども、そういう歴史の中で生きてきた人たちを指す訳ですから、ちょっとやそっとで、70年代半ばって言ったって就職を受け入れる訳でもないですしね。もっと間単に言えば、深谷市が受け入れたことはなかなか無いでしょ、深谷市だろうが何市だろうがいいんですけども…日本国籍を取らない限り公務にもつけない。日本人の様に生きていけない。こういう過酷な現実があるわけですから。その中で選ぶとしたら焼肉屋でアルバイトをするか、あるいは銀座にでも出て、ホステスになるか…あるいは芸能界とこういうことになるんですね。日本の芸能界には在日の人たちがたくさんいます。しかもキョンジャの様に、自分のアイデンティティーを表明しない人、隠している人、言わない人、あまり言わない人、もちろんテレビでそんなこと言わない人、こういう人たちがいっぱいいるわけですよね。
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アメリカや韓国の芸能界っていうのは、リベラルでね…先に意見を表明する業界、ラジカルな面もあります。保守的なことを言わないでね、意見を言う。イラク戦争が始まった時も、真っ先にハリウッドは反対しました。あるいは、韓国の業界も反対したりしました。日本の芸能界はそういう声明すら出さないですね。関係ないんですね。関係ないと思っているんですね。一番庶民と接している、庶民に支えられている、庶民の代表として、面白おかしなことをして生きている立場、させてもらっている立場な人達の集りにも関わらず、自分たちの社会の反映に庶民たちのことを思っていることを表明できない。どうもなんかね、僕らのいる芸能界、まぁ僕は芸能界にいると思いませんけど、芸能界にいるようなものですね。なかなか自分達のことを表明できない。まさに今の社会の縮図である。そういう保守的な世界ですからね。
だからキョンジャみたいに、業界の中で苦しんでいかざるを得ない、そういう現実ですよね。だからまるごとそのことをズバリ変えていかないといけない。だからこの芸能界にいる、在日系の芸能人たちはですね『パッチギ!
LOVE &
PEACE』を観てですね、どういう想いになったんだろうと。ひとつもお手紙はいただけませんけどね。お手紙をいただきたいところですけども…ジャニーズの中にもいらっしゃるでしょう。どこでもいると思いますよ、歌手の人にも多いですからね。どんなふうに観ていただいたのか、あるいは最初から無視されたのか、どうなのか…それが逆に僕の聞いてみたい所ですけどもね。まあ芸能界を選んだのは、そういう意味ですね。
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司:音楽について〜
井:1作目の「イムジン河」はフォークソングですよね、フォークソングを奏でている。2作目で加藤和彦さん(音楽監督)と話しまして「イムジン河」は『パッチギ!』のテーマソングではありますが、何かね、フォークソングをそのまま70年代ので流すのもなんともね、粋じゃないだろうと…何かもっと“雄大”にしましょう、ということでね。もともと(「イムジン河」は)交響曲なんでね、二人で考えて、それで東京フィルに協力してもらったんですね…だから、スケールが大きくなったんですけども。でも、「イムジン河」だけじゃね…「アリラン」という曲をね、前にも使いたかったんですけども。あの「アリラン」という曲はね、東京でも関西でも一緒だと思うんですけど…ラ〜ララ〜ラ〜ラ〜♪(「アリラン」の鼻歌を歌う 会場拍手)カラオケじゃないんだから。
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誰でも知っているんですよ、なんか酔うほどに良い曲なんですよね。でも、あんまりそこまで僕らの世代でもね、僕ら団塊よりも、少し下の世代なんですけどもね、ちっちゃい時に聴いているんですよ…大阪の公園とか、奈良公園とか、京都の円山公園とかで必ずね、おばちゃん達が、なんかこう楽しいのか悲しいのかわからない感じで踊っているんですよね。チョゴリ着て…そういうのを見てきたんですよね。そしたら普段知らないうちにね、文部省の選定曲でも何でもないのに、音楽の教科書かなんかに載ってもいないのにね、覚えているんですよね、意味知らないんですよ、もちろん。もうアリランてどういう意味なのかもわからない。朝鮮人や韓国の人に聞いても、いまだにわからない、っていうんですよね。それぐらい古い曲なんですよ。アリランっていうのは、アリラン峠を指すんだっていう説もあれば、それこそ、アリランっていう項目を検索すると諸説がいっぱいあるんですよね。
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日本の植民地時代に、初めて朝鮮の中で作られた、悲哀と抵抗を折り混ぜたような、朝鮮独自の映画。無声映画ですよね。今、我々朝鮮民族はこんな運命になっているんですよっていうことをですね、当時、日本の検閲ギリギリでなら許された映画があったらしいんです、誰も観ていませんけど。その無声映画で「アリラン」に初めてメロディーが付いたらしいんですよね、音楽的にね。それまでは民謡として各地で、ちょっと譜面を変えたり、各地方でメロディーが変わったりして、やっぱり歌われてきたそうなんですね。
だから、歌詞も全然違うんですよね。キョンジャが西島(秀俊)君に振られてですね、可哀想なシーンがありますけども…あそこで流れる原曲はですね「私はあなたに何でふられなきゃならないの 何であなたは私のもとから去って行くの そんなことをしたら私はあなたがどこかの峠に行った時に転んで足を挫くことを私は望む あなたがケガをするのを私は望んでいる」こういう原曲の歌詞なんですよ、もともとは。どこかへ去って行くなら去って行けと、あなたがケガをすることを私は祈っている、という…とんでもないですね。朝鮮の、韓国の女性たちの熱さですね。もう、復讐してやりたいくらいの熱さですね。もちろん日本人にもありますよね。日本の女性にもありますよ。「なによ、なんなの、あの男」とかですね。(会場笑)酒を飲んでは、ぼやいていますね…同じことです。今も変わらないと思います。
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韓国、朝鮮の場合はですね、その悲哀を「ハン」という、「恨」という字、そういう気持ちになって現れるんですよね。朝鮮の歌、演歌の元ですね。日本の演歌の元となった「アリラン」のサビの部分を、加藤さんと一緒に東京フィルで思いっきり盛り上げようと…そしてキョンジャが、ラサール石井の、あの憎たらしい男の所に(笑)…パンツを脱ぎに行くと、そういうですね。女の切なさ、哀しさをですね、その歌詞の部分をもってくるのが、一番面白いんじゃないかなと思って、入れたんです。
明日から、というかもう今日(2007/10/12)からですね…韓国のソウル、それから釜山で『パッチギ!LOVE&PEACE』が封切りました。ちょっと韓国の配給会社がM&Aかなんかに遭いましてね、最近流行りの買収に遭いましてね、なかなか行き先が危ぶまれていたんですけども、やっと今日公開して…お陰様で、5回の時だったのかな、もう全館ソールドアウトでですね。この前僕も試写会で、ソウルに行ってきたんですけどもね、宣伝も兼ねて。やっぱり韓国の若い子たちがほとんどでしたけども、300人位はみんなやっぱりね「アリラン」が奏でられるとね、女の子なんかは泣いているんですよね。だから、本当に気持ちがわかるんでしょうね。別に日本人に「許さない!」っていって、泣いている訳じゃないんですね。もう女の哀しみっていう気持ちで泣いているんだってみんな言っていましたけどもね…まぁ、僕に対する配慮かもわからないですけどもね。(笑)
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とにかく2時間10分、韓国の若者たちはもう観ました。もう何百人、今日も随分観ていると思いますが…多分反響がですね、またこれネットを通じて、さすがに反日映画だっていうね、そういう書き込みは、多分韓国ではあり得ないと思いますけども…でもわからないですけどね。とにかくこの土日を通して、また反響が拡がってくれることだろうと思って、期待しているんですけども。もちろん「アリラン」「イムジン河」の両方の曲がね、彼らにどう伝わるのかっていうね…一番韓国の人たちが、自分たちの代々のおじいちゃん、おばあちゃんの戦争時代、そしてお父さんお母さんの戦争時代、そしてこの開放時代、そして今…っていうものをですね。日本でも昭和50年代そういうことだったんだ、みたいに観てくれていると思うんですけどもね。もし、韓国に「韓国マツタケでも食べに行って旅行に行きますねん」という予定を立ててる方はですね…ソウルの映画館で、まだやってますんで…もし行く機会がありましたらね、向こうの子供たちや若者やら大人たちと一緒に映画館で、ちょっと探して観はったら、また反響も色々面白いですよね。
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韓国の映画館の中でもね、スーパーインポーズ(字幕スーパーが入る)が出ているんですよ。もちろんアンソンが言う部分でもね。戦争中のジンソンやビョンチャンの言う激しい言葉もですね、韓国語、ソウル語のスーパーインポーズが出ているんですよ。なぜ出るかといいますと、彼らが喋っているのは、厳密には、済州島言葉なんですよね。ソウルの言葉と、済州島の言葉っていうのは、東京の言葉と、沖縄の言葉位に違うんですよね。だから、ちょっとした単語位まではわかるけども、文章になるとなかなかこう伝わらない。もちろん日本語の所は韓国語のスーパーインポーズ、それから済州島の言葉の所もスーパーインポーズ。日本語の所と済州島の所、どこも字幕が出っぱなしなんですよね。
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それでもね、食いついてくれたんですよね。ものすごく笑うんですよね。佐藤君というあの国鉄マンに扮している藤井隆君が出てくるところはですね、もう本当に、一挙手一投足に笑うんですね。冒頭で、パコーンと「ドラゴン怒りの鉄拳じゃー!」ってやって、相手方がカーン(倒れる振り)ってこうなりますよね。国士舘…っていや、国土館がね、あの時にドーンと笑いが来るんですよね。そしてその後、アンソンが立ち上がって、四字固めをほどかれて、ひざをさすりながらふっと佐藤君と目を合わせて、「おぉ」ってふと名札を見たら(名札に)佐藤って書いてあるんで、「おぉ…ノーベル賞や」って言うんですよね。あの場面の、その「ノーベルや」って言う時にね、どっとウケるんですよね。これ、なぜウケるのか?これは冒頭の、風間(杜夫)さんが、アンソンと一緒に佐藤首相がどうこうして「ノーベル平和賞なんかもらいやがった」なんて皮肉を言っている、あのシーンがわからない限り笑わないはずなんですよね。
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でもやっぱりウケてくれたんで僕は安心したんですよ。冒頭のあそこでね「おい、ノーベルや」「本日のノーベル賞や」っていうのをですね、日本語で言って字幕が出ているのにも関わらず、ワァッっとウケたんですね。そしたら最後まで、一気に笑ったり泣いたりしながらですね。まぁ初日、大阪、東京、全国で封切った時よりも、若者達がいっぱい来てくれました。日本の若者達の、もちろん大人もそうですけども、封切にご覧になった時の反応と、(韓国の公開が)それほど変わらない。あるいは、もっと過激な位の反応があったので嬉しいです。だから今日も沸き立っていた感じですよね。たぶん深谷(の反響)と同じ位ね、ここ1ヶ月、あるいは6週7週ロングランして欲しいなと思ってます。
司:ありがとうございました!
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